脳みそあげます!

エンパシーって大事

捨てる紙あれば拾う紙あり

 こんにちは。そして、さようなら。スキナンです。

 今回は前回日記の話の中で触れた、白い紙について書こうと思います。スキナンは自分でも変態だと思いますが、白い紙が好きで、買い溜めてはうっとりする生活を送っているのです。

紙、紙、紙だらけの毎日

 スキナンは小学生の中学年頃から、いわゆる進学塾に通って毎日大量の宿題やテストに追われるタイプの子供でした。中学と高校は一貫校に通い、現役で合格した大学のランクが低いといわれ、浪人を1年しました。
 
 この長い長い期間、死ぬほど紙を使ってきたわけです。ウェブ上で計算問題とかできませんし、何でも書いて覚えるのが主流だった時代です。もちろんスマホもありませんから今の学生のように暗記アプリとかそういうかっこいい物だってありません。全部手書きで作っていました。スキナンの周りの人間は、ノートに赤や緑の下敷きで隠れるような色で重要ワードを書いて、隠して確認している人がほとんどでした。ちなみにスキナンのおすすめの色は黄色です。あの色結構隠れるし、字が読みづらいお陰で、ぱっと見で答えが見えてしまう事故率も低めでした。
 
 とにかく、紙だらけの生活をしていたのです。ノートらしい冊子を何十冊使ったかわかりません。裏紙も死ぬほど常備していました。そんな中で、紙質や使い方に関してあれやこれや考え出すのは時間の問題だったのです。

マス目と行数問題

 スキナンは小学校の頃はおとなしく学校の決まりに従ってちゃんとしたノートを使っていました。というか、学習指導要項に多分何年生はどういうノートを使うって決め事があったんでしょうね。買えるノートの選択肢が少なかったので、決まったものを使わざるを得なかったということです。スキナンは小さい頃から文房具が好きでしたが、学校用のノートに関してはジャポニカ系列の物を使うことが多かったように思います。中には可愛らしい柄付きのノートもありましたが、もう少し年齢の上の人間用だったり、英語や音楽用だったりしていました。(スキナンの頃は英語学習なんてありませんでした。英語教室にも少しだけ通っていたので、それはそれでノートを持っていましたが、うまく使えていたとは思えません)
 
 学校のノートって余りがちなんですよね。だってノートには決まったことしか書けないのです。センセーのいったことや、黒板に書いてあること以外のことを勝手に書くといけないのです。宿題の提出もあるし、余分なことを書けるのは自由帳くらいのものです。
 また、学年によって例えば漢字の練習帳などはマス目の大きさがある程度決まっていたので、これも練習量が終わってしまえばあとはいらない紙になってしまいました。
 
 スキナンの母は、この余分になった紙を切り取って、電話のメモなどに使っています。もう10余年は使っていますが、いまだに大量に残っています。スキナンには弟もいて、彼も同じような紙生活を送っていったため、二人の分をあわせると、死ぬまで使えると思います。

 現役を終えて老後を電話のメモ書きとして生きるノート達には様々なマス目や罫線が引かれたままになっていますが、これは消すことができず、なんだか不自由に見えることがあります。ノートは使命を果たしているので全く悪くないのですが、こちらの年齢がそのノートと合わなくなると、途端に使いにくくなってしまうものなのです。
 
 スキナンは贅沢にも罫線の幅が細すぎるとか太すぎるとか、インクが濃いとか薄いとか、そんなことが気にかかってしまうようになったのでした。そう、スキナンは段々とこだわり始めてしまったのです。

わら半紙という故郷

 さて、スキナンは中学生になり、ノートの制約から解放されました。スキナンは中学受験時の板書の多さに、自分の字を小さくする術を磨いたため、小学校高学年の時の学校のノートは既にマスの余白が目立っていたのです。もちろん自分の字のサイズにあった罫線のノートにすぐに切り替えました。そしてお楽しみとして、色とりどりの柄がついているようなノートも買っていました。大きめの文房具店に行き、コーナーの端から端までノートをチェックしてはどんなオシャレでカッコイイノートがあるのかとわくわくしたものです。

 ちなみにこの頃のメジャーノートといえば皆さん一度は使ったことがあるでしょうが、campusですね。第4世代の柄で、当時はデザインが一新されてまもない頃でした。(ちなみにcampusノートは第2世代以外は全て使用したことがありますが、色味がシンプルでかつ可愛いところが気に入っています。貴重な初代ノートは私のコレクションとしてどこかにしまい込んであります)

 それまであまりメーカーに拘っていなかったスキナンですが、ヲタク気質がすぐ出てきてしまうスキナンは、それから色々なメーカーのノート類を集めるようになったのです。

 スキナンはマス目のことは気にしなくなりましたが、今度は効率を求めるようになりました。つまり、多用途で使えて、コスパに優れる紙が欲しいと思っていたのでした。学校や学習塾用の各科目のノートは必要だとしても、自宅その他で計算問題や単語の暗記に使用するためのノートは、別にノートの体裁でなくても構わなかったのです。

 スキナンにはわら半紙が懐かしく思えました。小学校のプリントなどでよく使用されていた、あの薄く茶色や灰色がかったしっとりした肌触りの紙のことです。雨に濡れたり汗を吸ったりすると大変なことになってしまいますが、鉛筆で書くときのザリザリ感がやみつきになりそうなあの紙のことです。何かを書き記して保存するの以外であれば、ああいう紙でいいのになと思っていました。何かを覚えたり考えたりしている時に罫線上に沿ってきちんと線を並べるのはなんか違う。そういう風な気持ちもあったのかもしれません。マス目や線がついていると、それに従ったものになってしまうような感覚。もやもやしたまま過ごしていました。

 スキナンはその後様々な文房具を見て、何か自分にあったノートはないかとチェックを欠かしませんでした。時折目につくとっておきのデザインのノートや、見たことがないような紙のノート、ポケットやカバーがついたノートなどは購入し、いつか使うかもと思ってしまい込みました。気づけばスキナンの棚には未使用のノートが大量にストックされ、そのどれもがもったいなくて使えないという妙ちくりんな状況になっていました。また、スキナンはその頃ルーズリーフにも手を出していました。学校に持ち込む紙の量を少しでも減らしたかったのです。お陰でノートと共に大量のルーズリーフの袋も溜まり、趣味の漫画集めも相まって、部屋は紙王国になっていました。

 ちなみにちなみに、ルーズリーフはmarumanが一番のお気に入りでした。紙の表面がツルツルしているのに引っ掛かりが少なく、また罫線の薄い青色が好きだったのです。また、カラーのルーズリーフも売っていて、浪人時代にはよくこれに書いて気分を上げていました。

そして無地との出会い

 時は流れていきました。スキナンは大体高校生です。この頃になるとスキナンにとってノートは使用用途によって分かれていました。
 
 まず、他人用です。意味がわからないと思いますが、外の世界で使用するためのノートです。主に学校やその他で人に見せたり、情報を書いて共有したりするためのノートです。

 次に、雑記(暗記)用です。これは人に見せないノートで、各科目の暗記項目から適当な落書き、時に意味のない試し書きの羅列があったりするようなノートです。

 最後に、観賞用のノートです。これは使いません。ページの外観や手触りや匂いを楽しむだけのノートです。ペットに近いかもしれません。たまに手にとって楽しんだあと、また収集ボックスに戻していました。他に、友人にプレゼントするために買ったお高いノート類もこれに含まれます。

 スキナンにとって長年の悩みだったノートの問題は大体この分類制度で解決していました。メーカーでいえば、無印良品さんのノートにスキナンはすぐに目をつけました。5冊パックで200円くらいのノートはずっと愛用していました。安くて紙が白過ぎず普段使いに向いていて、安くて安い(ここ大事)。学生にとって紙代は馬鹿にならなかったのです。
 
 このあたりになると、スキナンはノートの中に無地であるという利点を見つけていました。無地のノートであれば、科目を問わず何でも書ける。図も、絵も、方向だって気にしなくていいし、から傘連判状だって書けます。しばらく家で無地ノートばかり使っていた時期もありました。

(スキナンは無印良品さんから販売されていた週刊誌タイプの無地ノートは本当に好きでした。そう、わら半紙なのです。わら半紙の寄せ集めノートだったのです。暗記用からお絵描き用から書き殴り用まで目一杯使っていました。表紙がぬるっとしていて油の香りも良かった。再販して欲しいなぁ。無印良品さーん。ちらっ、ちらっ)

 お金に余裕があるときは、スキナンは伊東屋あたりの高級コーナーで海外製品にも手を出しました。モレスキンとかね。でもスキナンが好きなのは普段使い用のノートで、こういうのはもれなく観賞用に回ってしまいました。逆にいかにも子供が使いそうな、厚紙が表紙で、ピンクとかオレンジとかの派手な色で罫線をとりあえず引いてあるだけのノートは大好きで、今でも買ってしまいます。大概これらももったいないといって使わないのにね。

紙様へ

 あまり話がまとまらなくなってきたのでここらで一区切りといきたいところです。
 スキナンはその後も紙を集めています。学生時代より使用頻度が減ったものの、今まで観賞用だったノートをようやっと使ってみたり、わら半紙の感触を求めて小さい子供用の落書き帳を買ったりしています。楽しいです。紙との触れ合いはスキナンにとってもはや癒しです。スキナンは紙の匂いも大好きなので、ノートや本の間に顔を埋めたりもします。(顔の脂がつかないようにしないと大変なことになります)古いものだと間に紙魚(シミという薄くて白っぽい静かな虫)がいたりすることもあって、それはそれで味があって好きなのです。

 スキナンは学習塾のバイト(これについて今度記事にしようかな)をしていたとき、あまりにも紙が大量に必要だったので、クロッキー帳に手を出しました。それまで絵を描く人の道具だと思っていたのですが、結果的には今でも愛用するほどクロッキー帳は普段使いの無地ノートに向いていることがわかり、何冊か持っています。

 書いていたら習字用の半紙が食べたくなってきました。あれ、綿菓子みたいに見えませんか。100枚くらい毎に挟まっている色付きの半紙なんかキャンディーみたい。あれ、わからない?(スキナンは幼児の頃絵本の端っこを千切って食べていたので……半紙は食べたことがありませんが、美味しいですよ、紙。)
 
 話が脱線しましたが、紙を変えるだけで人生がちょっと楽しくなるのですよ、人間は。高級品といっても車やアクセサリーまではいかないので、ちょっとお金があれば、贅沢ができます。紙はデジタルのデータと違ってうっかり全消去とかもないし、匂いもするし、その人ならではの書き味が出せるものです(眺めたり触っているだけのタイプは経年劣化という楽しみがあります)。前回の日記の記事でもいいましたが、アナログって面白いと思います。
 
 紙は生きていないけれど、こちら側の気持ちを感じ取ってくれているような気がするのです。スキナンにはそう思えるのです。