脳みそあげます!

エンパシーって大事

地震<<<雷>>火事>>>>親父 

まんじゅう怖い? 怖くない?

 スキナンは今日も元気に生きています。生存報告的な意味で。人生色々あるので、目下模索中なのですが、毎日100点満点中の55点くらいで暮らしています。

 ところで、人間や動物には数々の怖いものがありますね。スキナンにもある特定の恐怖症のようなものが存在します。今回はそのスキナンが恐れる対象について述べてまいります。ちなみにスキナンはまんじゅうなら豆大福が怖いです。山盛りの豆大福とか本当にペロッと……おっと話がそれました。

 日本では昔から《地震 雷 火事 親父》などといわれてきました。おそらくこれは家父長制度真っ盛りの頃に家庭内で使われていた言葉だと思われます。現代では親父の代わりに通信費あたりを入れるのが妥当でしょうか。
 
 スキナンは、この4つの中でダントツに雷がダメでした。そして今でも多分きっとおそらく高確率でダメなのです。反対に地震は全然大丈夫で、(震度5強レベルくらいでやっとニュースを確認)というか震災規模の地震だと死ぬか生きるかの2択になるので、いつでも覚悟ができているという感じです。もし明日大地震で死んでしまうならそれも天命と思っています。しかし、雷が接近して人が死ぬということは滅多にありません。基本的には安全な場所にいれば大きな音と光が明滅するのをじっと待っていればいいのです。停電はするかもしれませんが、命の危険が迫ることはそうそうありません。それでもスキナンは雷が大の苦手なのです。

雷が鳴るとまず守るのはヘソではなく耳

 スキナンは物心ついた頃にはすでに、雷の接近の予兆があると知るやいなや、布団の中に潜り込んで音が完全に遠くにいって、終わりの音(コ……オオンみたいな小さな低音)になるまでじっと耳を塞いでいるような子供でした。おそらく同じ恐怖症を持っている方には共感していただけることだと思うのですが、雷が鳴り始めるとまずその距離感を察知します。いきなりドカーンと来ることは稀なので、まだ遠い内から予防線を張るために、光ってから音が鳴るまでの間を身体で感じ、本番(近くに落ちるやつ)が来るのに備えるのです。そして雷がなるべく圏内に来ても怖くないように、

 ①家中の窓を完全に閉めきる
 ②全てのカーテンを閉める
 ③耳を塞ぐか耳栓をする
 ④音がしなくなるまでしばらく耐える(この間ほぼなにもできない)
 
 上記の①~④の内、2つ以上該当される方はスキナンのお友達です。子供の頃のスキナンは耳栓を持っていなかったので、ひたすら耳の中に指を突っ込んでいました。光の明滅と音のギャップが無くなってくるのがなんとまあ恐ろしいことか。今でもスキナンは最低①と③、場合によって②と④を追加という感じです。
 
 こんな話を聞くと大袈裟だなあ、なんて思われるかもしれませんが、本人にとっては死活問題なのです。余談ですが、スキナンは予備校に通っていたときにゲリラ豪雨に遭遇し、勉強していたところに突然雷雨が降り注いだことがありました。当時スキナンは1人で窓際(吹き付ける大雨とピカピカドンドンするお空のライブ中継付き!)に座っていたのですが、周囲の人間が特段変わった様子も見せずにいる中で取り乱しかけ、耐えられなくなって帰宅したことがあります。だって耳を塞いでどこかに逃げ込めるような場所もありませんし、トイレにずっとこもるわけにもいきません。なによりビビってしまって勉強どころではなかったのです。電車を待つ間の駅構内でも死にそうでした。   

 今現在はようやく鳴り始めると多少ビビる程度まで落ち着いてきましたが、それでも窓は必ず閉めますし、ほぼ100%イヤホンか耳栓をします。職場で雷が発生したときは雷が苦手だと周りにアピールして、トイレに入ったり、周りをウロウロしたりしてごまかしています。なんで誰も驚かないでいられるのか不思議で仕方がありません。それくらい、雷が苦手なのです。

雷の他にもあった怖い音

 スキナンは雷以外にも怖い音がありました。それは「音が鳴るとわかっているが、いつ鳴るか把握しにくい音」です。たとえば花火。たとえばクラッカー(手で糸を引いてパーンと鳴らすアレ)。たとえば運動会のピストル。そして映画館などで、静かな場面から一転して大きな音が鳴るシーン。俗に爆音恐怖症や破裂音恐怖症といわれるものです。そうです、スキナンは雷だけが怖いのではなく、いつ鳴るのか把握できない音全般が苦手なのです。
 
 上記のことから、スキナンは花火大会で泣きながら耳を塞ぎ、自分の誕生日で「クラッカーが怖いから向こうで鳴らして」といって別の部屋で鳴り終わるまで耳を塞ぎ、運動会ではほぼ終日耳を塞ぎ(ピストル鳴りすぎ問題)、映画館ではいかにもなシーンが来ると片耳を塞ぎながらなんとかやり過ごすという生活をずっと送ってきました。あと、ゲームセンターやパチンコ店の自動ドアが開く瞬間もかなり苦手です。ここ数年だと、途中で流れるタイプの動画広告なんかも死んでほしいと思います。この中で大丈夫になったのはかろうじて花火くらいなのです(何回か花火大会に行って音のギャップが予想できるようになったので、大きな音がしそうなタイミングでえいやっと踏ん張ることで耐える。花火の光は好き)。よくある「風船が割れる系の時間制限ゲーム」とか絶対やりたくありませんし、「黒ひげ危機一発」みたいなビックリ系も総じて苦手です(音が小さい場合はまだなんとかなる)。うっかり黄身を突かずに電子レンジでチンしてしまった生卵なんか殺人兵器にしか見えません。さらにいえば、電話の鳴り始めも苦手です(仕事で死ぬほど使っていたので慣れましたがビビるしできることなら出たくない)。このご時世なので、家族が家にいることが多いのですが、彼らが急にドアを開けたり閉めたりして音が響くのも苦手です。平気な人間からすれば大したことないと思われてしまうのですが、これらの要素がある音が発生する環境にいる場合、スキナンは無能になることが多いです。今が戦時中でなくて本当に良かったと思ってしまいます。空襲警報だけで気絶する自信があります。
 
 スキナンはこれらの音になるべく遭遇しないように気をつけていますが、映像系はエンカウント率が高いので、【5秒後に大きな音が流れます!】みたいなアナウンスサービスが切実に欲しいところです。解決方法が耳の中に入ってくる音のボリュームを減らすくらいしかないので、家にいるときはしょっちゅうイヤホンをして他の音を聞いたり、人が外出しているときに作業をしたりという対策でなんとかしています。

誰だって怖いものがある

 今回はスキナンの苦手な音についてさらっと書きました。大事なことは、「誰だって自分のことしかわからない」ということです。この世は自分とそれ以外で全く異なるものなので、なんでもかんでも他人に察してもらうことは難しいことが多いです。他人の脳みそサブスクがあったら参加してみたいのですが、現時点ではありとあらゆる問題を引き起こしかねないので、望み薄。だから本当の意味で自分を理解できる人なんていません。自分のケツは自分で拭くしかないことがほとんどです。だから生きづらい。それに、他人に悩んでいることや考えていることを聞いてもらうことはできますが、それは建前的な相談事なので、人にいえないような深い悩みとか打ち明けにくいプライベートな内容はその人の中に留まったままのことが多いですよね。(カウンセラーとか専門の先生に話す場合は違いますが)
 
 でも、自分の怖いものというのは比較的他人に開示しやすく、それでいて平和的なのではないかとスキナンは考えています。自分の好きなことを話す場合、極端にマニアックなものとかだと引かれることがありますが、苦手なものは受け入れてもらえる場合が多いと思います。というのは、他人は相手が弱みを見せてくることに関しては寛大だと思うからです。マウンティングの逆なのですから、言われていい気にはなりませんが、嫌な気になることもありません。意外と「そうなんだ、大変そうだね」とか「実はわたしは◯◯が不得意で……」なんて風に反応してくれるのです。苦手なものを聞いて、それを使ってなにかをしてくるような人間の場合は極悪人ですが、ありがたいことにこの世は極悪人がゴロゴロしているような世界ではありませんので、大抵の場合、悪い展開にはならないと思います。苦手なものを開示して、さらに相手が「なにか他にもあったらいってね」的な言葉をくれたときはありがたく、ホッとするかもしれません。その人のことは大切にしても良いと思います。
 
 《同情はできないが、立場の想像はできる》ことをエンパシーといいますが、スキナンはこのエンパシーこそが人間にとって一番大事な考える力だと思います。なんでもかんでも「それな」とか「わかる」とかスキナンはいいません。だって当事者でないから相手の本心まではわからないんだもの。でも「難しい問題を抱えているんだね」とか「気持ちは想像できる」とか、そういう風にいつもいっています。
 
 まぁ、同じ爆音恐怖症の方のブログとか見ると「それな!! めっちゃわかる~! わかりみがマリアナ海溝!」って叫ぶのですがね。

 人間のみなさんも、どんどん自分の苦手とか嫌いなものを公開して、後悔の少ない日常生活に少しでも近づいていけたら嬉しい限りです。また、自分に対して相手がなんらかの弱みを示したときは、静かに聞いてみてください。そしてそれが自分には理解できない内容だったときでも、「そういうこともあるんだね」と受け止めてみることが大事です。