脳みそあげます!

エンパシーって大事

ヲタク日記、時々自分

 こんにちは。そしてさようなら。スキナンです。
 今回は日記についてスキナンの思い出を書きましょう。

 日記なんて誰が書いても同じような物じゃないかと思うでしょうが、スキナンは日記の使い方が少し変だったのです。このところバレットジャーナルを始めとする小洒落た記録手帳みたいなものや、自分探し啓発ログみたいな手帳が各方面に発達していますが、スキナンが日記を書いていた20年ほど前にはそういう画期的な物はありませんでした。しかもスキナンはまだまだ子供でした。
 さあ、スキナンがどんな日記ライフを送っていたか見てみましょう。

日記というルーティーンの大変さ

 皆さんは今までに日記を書いたことがあるでしょうか。
 いわゆる、

 ーー土曜日。今日は朝から晴れていたので洗濯を2回して、その後スーパーに買い物に出掛けた。お買い得商品を見ていたら、たまたま大学時代の旧友に出会した。予定を変更し、午後は近くのカフェでコーヒーを片手に思い出話に耽っていた。気がつくと夕方になっていて、急いで帰宅したが、洗剤を買い忘れてしまって昨日の洗い物の残りが出来なくなってしまった。やる気もなくなり、晩御飯はレンジでチンするタイプのインスタントにしたーー

 こういう日記です。

 たいてい日記というものは、毎日つけられるような几帳面なしっかりした人以外が継続するのはなかなか難しいもので、スキナンもその1人でした。でも、スキナンの場合、日記というよりは、誌面上の読書感想文だったり、空想だったりするものが多かったように思うのです。

 スキナンは過去の夏休みの宿題で幸いにも日記の課題が出されたことがありませんでした。(アサガオの観察日記はありましたが、水やりをサボったため数日で枯れてしまい、適当に終わらせた記憶があります。文よりも絵が壊滅的に下手で難儀しました。)そのため日記に密かな憧れがあったのです。小学校でも交換日記が流行っていて、少数の友人間でノートをまわしたことがありましたが、途中で止まることがほとんどで全然日記らしくはありませんでした。

 そんなスキナンが初めて手を出したのは、文庫本タイプの白紙の小さな本のような日記でした。日付以外は白い紙がずっと並んでいることに少なからず興奮しました。
(※おそらくこのあたりから“白紙萌え”が始まったのですが、これについてはまた記事にします。)

<この何も書かれていないところをこれから自分の体験で埋めるんだ!>
 冒険家が新しい土地を発見したらきっと皆こんな気持ちでしょうか。
 日記というものは大体の場合、年始始まりや新年度始まりが定番で、スキナンの物も年始始まりだったので、買ってきた当日に意気込んで日記に対しての抱負を書いていました。

 ……3日で書かなくなりました。そりゃそうですよ、今まで日記らしい記録を付けたことがないものですから。何をどうやって記せばいいのか見当がつきません。
 当時のスキナンは中学生でしたが、漫画に目覚めてしまい、暇があれば単行本を読みふけるばかり。キャラクターの活躍に一喜一憂するのが生きがいになり、ごく普通の人間から2次元ヲタクへの過渡期へ向かっていたのです。

 ヲタクというものは、とかく自己表現をしがちなものです。イベントに参加したり、グッズを集めたり、イラストを描いたり小説を書いたり。スキナンにはまだそういう感覚がありませんでしたが、新しい話を読んでワクワクしたとか燃えたとかそういう気持ちを共有する場は欲しいと思っていました。しかし周りに共通の友人はおらず、家族は漫画ばっかり読んで勉強はいつするのかというスタンスだったので、吐き出すところがなかったのです。
(スキナンが中学生だった頃はまだそんなにネット文化が発達していない頃で、国内ブログサービスも出てきたかどうかという時代ですので、当然パソコンを使って何かを発信しようとは考えつきませんでした。そもそもパソコンが父の所有する1台しかなく、触る機会すらまれでした。)

 そこで日記の出番です。スキナンは日記の中に、自分の読んだ漫画の感想を綴りました。
 書き方がわからないので、とりあえず箇条書きにしたり、場面の説明をしたり、キャラクターの良かったシーンを表現したり。1日分のページに納まらない時は2ページ、3ページと横断して書きました。そしてたまに思い出したように日々の愚痴を入れたり、良いことや悪いことを混ぜたのです。

 こうしてスキナンは新たな日記の書き方を編み出したのでした。

スキナン、1人芝居の道へ

 日記も2冊目になり、スキナンはあまり毎日日記を書くことに執着していませんでした。曲がりなりにも学生でしたから、必要最低限の学問や、日々のスケジュールに追われることが多かったのです。スキナンは日付の書かれていない日記を買い、気が向いた時に書いていました。日記はスキナンの中では周りの人にはいえないようなことを吐き出す葦のような物でした。王様の耳はロバの耳、スキナンの好きなのは少年漫画の○○、○○の××は△△。こんな調子の生活がずっと続きました。スキナンはこの頃すでに完全な隠れヲタクになっており、毎日の日課は本屋で新しい漫画を買ったり、少しずつ整い出した個人ウェブサイトの波間を漂ったりすることでした。ここまで読んで理解が容易にできる方は、ご自身がウェブサイト巡回をされていたか、あるいは製作者サイドの人間ではないでしょうか。あの頃は良かったなぁ、あの頃にもう1度もどりたい、などと思ってしまいますね。スキナンも、あの頃のネットサーフィンは特段輝いていたように思います。

 さて、紙の日記を読むのは当然自分だけですから、淡々と書いていくのはあまり面白いことではありません。自分がいかに作品に燃えようとも、萌えようとも、理解者はスキナン1人。他の誰かが漫才の相方のようにツッコミや相槌をうってくれることなんてありません。
 
 いい忘れていましたが、スキナンは携帯電話も持っていませんでした。すでに友人は皆個人の携帯電話を持っていて今月はパケ死パケット通信費が超過して死にそうの意)、みたいな頃でしたが、スキナンが携帯電話を手にするのは浪人して大学生になってからでした。気軽にネットにアクセスして情報を得られるのは夢のまた夢。でもヲタク度が進行していたスキナンはどうしてもインターネットの世界が気になっていて、深夜に父の寝ている部屋に忍び込んでこっそりウェブサイトを覗き、毎回履歴を消去するという綱渡りのような生活をしていたのです。 恐ろしやスキナン。

 スキナンはある日、紙面上でウェブサイトを作ろうと考えました。来訪者などいないわけで、全くもって無意味ですが、形だけでも真似たかったのです。

 まず、サイトの名前を考え、次に大事なハンドルネームを考えました。当時の個人サイトを訪れたことがある人間はピンと来ると思いますが、あの痛々しい感じの挨拶文から始まるやつです。それを個人で、ノートの中でやっていました。なんとも不気味ですが、自己満足度は高く、楽しかったのです。(※スキナンはその黒歴史を大切に今でも保管しています。)

 サイトを作っているからには作品もないといけません。スキナンはそれまでに書き溜めた二次創作の小説を書いたり、書き下ろし(というのかな?)を載せたりしてサイトのページを埋めました。当時の文章力はたかが知れていて、読み返すとゾッとしますが、今でも二次創作を息抜きにするのはこの辺りのソロ活動が原点になっているからでもあります。厳密にいえば、スキナンは中学1年生から二次創作をしていましたが、作品集として纏め出したのはこれが初めてでした。1人で物事に耽ってあれこれするのがスキナン、好きなんでしょうね。

 作品を載せたあと、その下に自分で感想をつけるのも忘れていませんでした。俗にいう編集後記なるものです。さらに、読者としても参加して、自分の拙い小説を自分で読み返していました。想像するだに気味が悪いのですが、これは後に推敲する力を身に付けたと解釈して納得しています。
 
 この究極の1人芝居はその後スキナンがウェブに移動するまで5年くらい続きました。

日記としての個人、キャラクターとしての個人

 日記はこの頃になると個人の日頃の思い出を綴る他に、サイトを(紙面で1人で勝手に)運営している人間としての立場として書くようにもなっており、自分の日記にも拘らず、ハンドルネームを名乗って書くようなことが続きました。決して二重人格とかそういうことではありません。スキナンは日記に個人サイトでのdiary(※個人サイトにはお絵描き交流場や運営者の日常を綴るページがあった)としての側面を見出したのです。

 こうなってくると、もうカオスです。あるページに文化祭での楽しい行事のことが書いてあるかと思えば次のページには今週買った少年誌の感想が綴られており、その後で自分の作品について考察めいたことが羅列されているといった具合です。日記の内容が事実ではないことで埋まるようになることも増えました。
 
 さらにおかしなことに、スキナンは自分の好きなキャラクターを日記に登場させるようにもなりました。そして日記の中でキャラクターとやりとりし、自分の好きそうな展開を繰り広げてはニヤついていたのです。(もしかしたらこれは名前変換型の小説の影響を受けていたのかもしれません。)メタ認知分野の開拓をこんな時からしていたのかという超ポジティブな見方をすることもできますが、単純に気持ちが悪いと感じます。思春期真っ只中の2次元ヲタクに日記を書かせるとこういうことになるのかと思い知った瞬間です。

いざ、ネットの海へ

 ここまで読んでくるともう大したことはないのですが、スキナンは結局大学生になるまで紙面上のウェブサイト兼日記をだらだらと続けました。大学生の時は携帯電話のメモ機能を使っての日記に移行しましたが、公開はせず、自分用のポエムに近い物でした。その後正式にブログサービスを利用してブログらしいこともしましたが、世間の人間に向かってのメッセージを発信するのに気がひけるようでもあり、あまり長続きせずに終わっています。

 紙の日記はスキナンにとって、秘密のワンダーランドのような場所でした。虚構を含めた脳内の出来事を逐一書き出している状態は半ば自動筆記のようでもあり、自分以外の人間にはまず見せられた物ではありませんが、この日記活動があったから今のスキナンがスキナンであるのは間違いないのです。
 
 今は活動する場所をネットに移しましたが、紙面に書いて何かを考えることは好きだしよくやっています。なんだか書いていると、アイデアのほうから語りかけてくるような気がするのです。あるいはキャラクターが『スキナン、どうしたの?』と問いかけてくるのです。スキナンの中には現実世界を生きる人間のスキナンと、スキナンワールドの中の運営者のスキナンと、その世界の住人になり切ったスキナンがいるのです。そしてそれは紙媒体に向き合っている時のほうが多い気がするのです。

 ネットの環境で何かをするのが当たり前になった現代ですが、心の中の自分に向き合えず、もやもやと過ごすヒトもたくさん生きていると思います。スキナンはそういう時、紙の日記を使ってみてほしいと思います。何も世界に伝えなくっていいのです。毎日が小さなハレの日でなくっていいのです。

 自分のことを最後に認めてあげられるのは自分なのです。